26 3月

「継続的世界観にある『今』」

1947年に私が生まれた。
それは、新しく創造された個別の生命が魂に包まれた瞬間であった。
私が小学生の時には、生命をこの世に誕生させた二人の生命がこの世から消えた。
しかし、私の心の中からは消えることなく、二人の生命が魂にある新しい生命の衣に包まれて、息衝(いきづ)くのを感じる私がいる。
言い換えるならば、私の心の中で、たしかな存在感として「今」も生きている。
「今」とは、断片的世界観でとらえるものではない。
「今」とは、継続的世界観でとらえるものである。